勤め先が道修町(大手製薬企業の本社も多い)のすぐそばで製薬企業勤務の知人も多いことから、業界に興味があり手に取った一冊です。
医薬品メーカーの研究職を経験した著者により、薬を生み出す側からの視点で医薬品業界が直面する危機について綴られています。
製薬企業の研究所は非常に潤沢な研究費に恵まれ、国内外の優秀な研究者の集まる頭脳集団です。
(研究室時代、就職先の花形はやはり製薬企業の研究職でした。)
しかし驚くことに、実はほとんどの研究者が新薬を生み出すことなく現場を去っていくと言うのです。
なぜなら全世界数百社の製品をあわせても、医療用医薬品の新製品は年間たったの15〜20!
新薬が生まれない、それが医薬品業界が直面している危機なのです。
創薬技術は飛躍的に進歩しているのにもかかわらず、なぜ新薬は生まれなくなったのでしょうか。
それは「薬が作りやすい」病気について既に効果のあるものが出尽くしてしまったことと、安全基準が厳格化していることによります。
薬というのは生命を形作る物質「タンパク質」に働きかける非常に小さな分子です。
人体の働きはあまりにも複雑で、鼻炎と胃潰瘍治療のターゲットになるタンパク質が同じだったり(よく耳にするヒスタミンブロックとはこれのこと)、経口投与では消化されてしまい患部までとどかなかったりと、一筋縄ではいきません。
動物実験で能力を発揮した薬は、臨床試験という形で人での効果を確認します。
臨床試験は第I〜第III相の三段階のフェーズがあり、クリアするのに長い年月を要します。
効果が確認できなかったり、服用の利益を上回る害があると判断された時点で試験は中止となります。安全基準の厳格化で数多くの新薬が中止に追い込まれていますし、中止する段階を見極めないと大きな損失になり得ます。
そのことを著者は新薬の開発を”ギャンブル”と表現しているのですが、「生み出すのは非常に難しいが一発当てるとどの業界も敵わないほどの巨大な利益を生む」業界事情をなんとも的確に表現していると感じます。
本書は、基本的な薬の作用や創薬の手法、臨床試験など創薬の基本がコンパクトに解説されています。新しい創薬技術や特許、薬価など昨今の業界事情も一通り網羅されていて、新薬の開発がなぜ難しいのか、創薬のギャンブルたる所以が専門知識がなくても感覚でわかる内容となっています。
業界にいたからこその視点で、内側から感じる医薬品業界の変化、そして研究者の「薬を生み出したい」強い思いが現場の雰囲気とともに伝わってくるのも特徴です。
副作用問題では薬を生み出す立場の人々が副作用をどう捉えどのように向き合っているのかが軸となっており、一歩間違うと言い訳のようではありますが、アプローチとしては目新しい印象です。
そして話のたどり着く先は2010年問題です。
大手開発企業(先発企業)の多くは1990年前後に開発されたブロックバスター(大型医薬品)で収益を支えていますが、2010年前後に相次いで特許切れをむかえます。これらがジェネリック医薬品に取って代わられることで、開発企業の収益は激減してしまいます。
(最近「ジェネリック医薬品による医療費節減」でジェネリックメーカーに追い風となっているようですが、先発企業と今後の新薬開発のことを思うと複雑な思いです。)
特許切れによる収益の減少に対して少しでも多くの新薬を生み出し生き残りをはかるため、今大手開発企業は合併や買収で開発領域の補完や新たなパイプラインの獲得に必死です。
また戦いの場がアメリカに移ったことで、日本の各企業も海外子会社の強化や海外企業の買収など国際的な競争力に重きを置くようになっており、グローバル化に向けた動きも活発です。
世界を舞台にした熾烈な争いと、社会情勢に翻弄される企業、新薬の開発に関わる研究者の人間ドラマを知ることで、一粒の薬が以前とは違って見えてくるので不思議です。
著者:佐藤 健太郎
新潮新書 初版:2010年1月