映画の乳首、絵画の腓

著者が好きな映画、絵画、文学等をこれでもかと語り尽くす1冊。

自身が本書を手にとった目的は、第二章のブラザーズ・クエイに関する評論、「エロティックな暴虐ーブラザーズ・クエイのパペットアニメ」。

エロティックな暴虐ーブラザーズ・クエイのパペットアニメ

ピーター・グリナーウェイ、デヴィッド・クローネンバーグとの関連にはじまり、アニメーション制作に本格的に取り組むまでの簡単な経歴。
続いて、処女作「人口の夜景」から、「レオシュ・ヤナーチェク」「ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋」を作成するに至る背景。
その後「ギルガメッシュ/小さなほうき」「ストリート・オブ・クロコダイル」「失われた解剖模型のリハーサル」についての解説、という構成です。
出版が1990年なので初期の作品のみ。

2017年版の帯が「エロスか死か!」と謳っているだけあって、切り口や表現は全編通して官能的。
ブラザーズ・クエイの作品自体、そこはかとないエロスが魅力(生身の人間は出てこなくても!)なところに、著者の語り口がマッチしていて、例えばこの「ギルガメッシュ/小さなほうき」のワンシーンの描写など、艶かしさに引き込まれます。

次の瞬間、エンキドゥのテーブルの上の女体めいた<生肉>を愛撫する。エンキドゥの一瞬の幻覚をとらえたこのショットはショッキングだ。甘美この上なく、しかも暴力的にむきだされた罠としての女体、食欲=性欲。

個人的に興味深いポイントは、評論として取り上げられることの少ない「失われた解剖模型のリハーサル」に触れられていること。

ちなみに2017年出版の「映画の乳首、絵画の腓AC2017」は、1990年出版の「映画の乳首、絵画の腓」を改稿し、最新評論を増補した新世紀増補究極版とのこと。
1990年版と2017年版で、ブラザーズ・クエイに関してテキストの変更はありませんが、ビジュアル資料が変わっています。
1990年版は2人の肖像、「失われた解剖模型のリハーサル」のモチーフについての解説、ブルーノ・シュルツの版画、で見開き4ページ。2017年版は2人のサインとスタジオの様子で見開き2ページ。写真の内容としては1990年版に軍配、という感想です。(ただ1990年版は今では古書店のみの取扱。)

実はこの1編、「ブラザーズ・クエイ コレクターズDVD-BOX」のリーフレットに掲載されているものと同じ内容です。(リーフレットはこれに加え滝本誠氏による作家へのインタビューもあります。)

ブラザーズ・クエイ以外にも、デビッド・リンチ、リドリー・スコット等々、魅力的なエッセイが満載なので、本書から様々な作品に出会えるのも楽しみです。

著者:滝本誠

映画の乳首、絵画の腓AC2017
幻戯書房 初版:2017年11月15日

映画の乳首、絵画の腓
ダゲレオ出版 初版:1990年10月18日

アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」

ゴールデンカムイのアイヌ語監修者の中川氏による、アイヌ文化の入門書です。

まずはアイヌ文化を理解する上で重要な「カムイ」についての解説。
「ゴールデンカムイ」がフィクションとして、いかに上手くアイヌ文化や北海道の歴史的背景を取り入れているか。
逆に「ゴールデンカムイ」では伝えきれていなかったり、本来はこうなのだ、というアイヌ文化についての補足。
監修者として「ゴールデンカムイ」にどのように関わっているか。アイヌの文法や方言で悩んだり難しかった出来事など。

漫画のファン目線でいくと、目玉は野田サトル氏の書き下ろし漫画(扉を含め6ページ)と、解説に添えられた漫画の抜粋でしょうか。
本文も、○○巻の○○話の〜と漫画のストーリーに照らした解説や、漫画の裏話的なものも随所に散りばめられているのも嬉しい。

ただ、まだ単行本になっていない本誌のネタバレ(19巻の収録範囲。かなり重要)があるので、単行本派の人にはちょっとキツい気がします。(個人的には本誌で読んでワクワクした話だったので、先にこれを知るのは、、、)あと、主要キャラの中では月島軍曹は出てこないのでキャラのファンの方は少し残念かも。

本書の前半は主に「カムイ」に関する解説で、かなり丁寧に書かれています。
やはり面白いのは「カムイ」が所謂一方的にあがめる対象としての「神」とは違うことです。
「カムイ」は、カムイの世界から人間の世界に、例えば熊の姿をして肉や毛皮などを”お土産”に遊びにやってくる。熊の死は、カムイが人間に受け入れられて”お土産”を渡すことに相当する。人間はカムイにまた”お土産”を持って来てもらいたいので、イヨマンテなどの儀式でもてなす。
このギブアンドテイクの関係を理解すると、アイヌの儀式をはじめ考え方全般の理解がスムーズになることがわかります。

「ゴールデンカムイ」作中では文化の解説に様々な物語が紹介されますが、本書ではそれ以外に様々な物語(エンターテイメント性のあるものから、伝承まで)も掲載されており興味深いです。

明治以前からのアイヌと和人の歴史も押さえられており、開拓者側からの北海道の歴史と合わせると何とも考えさせられますし、現代のアイヌについてやアイヌ語への取り組みも知ることができます。
巻末にはもう一歩踏み込んで「ゴールデンカムイ」を楽しむための、比較的読みやすいアイヌ関係の参考図書なども紹介されています。

漫画への愛情にラフな文体、著者の茶目っ気が垣間見えたりと、入門書として十分な情報量なのに一気に読めてしまいます。

ちなみにネットの情報で知ったのですが、アシリパさん表紙のカバーの下に、更に通常の新書のカバーがあって、二重になっているのですね。

漫画でモヤっとしていたところが本書で「なるほどそうか!!」となるところもあり、「ゴールデンカムイ」ファンとして楽しめる一冊だと思います。

著者:中川 裕
集英社新書 初版:2019年3月15日

一九三四年冬―乱歩

昭和9年、連載「悪霊」が書けず休載を重ねていたある日、江戸川乱歩は誰にも行く先を告げずにふらりと家を飛び出した。
一人になって「悪霊」の続きを執筆するつもりだったが、結局書くことができなかった。

本書は、その時滞在した麻布の「張ホテル」を舞台に、実はその行方不明の間、乱歩が「梔子姫」という新作を書いていた・・・というストーリー。

主人公は乱歩その人。スランプに陥った乱歩が、書けない焦りを抱えながら張ホテルの門をくぐり、風呂で一息ついているところから話が始まります。

微かに身じろぎすると、洋風のバスタブいっぱいに張ったお湯の表に、赤や黄の小波が立つ、西に面した浴室の高窓にはめこまれたステンド・グラスの模様が映っているのである。

初っ端から、異国情緒溢れるホテルの描写に引き込まれます。

もう一人の登場人物、ホテルのボーイは、”ほんのり甘いヘリオトロープの香り”を纏った美しい中国人の青年です。乱歩らしい耽美な世界の入り口というところでしょうか。
無人のはずの隣室から感じる視線。不思議な出来事が次々起こり、徐々に妄想と現実の境が曖昧になりながら「梔子姫」の執筆は佳境を迎えていきます。

第一の魅力は、作中の乱歩のキャラクターです。
作中で乱歩は、書けない自分に悩み、同世代の作家を妬み、奇妙な出来事に慌て驚き、美しいミセス・リーに心を乱されます。それがいちいち人間臭くて、可愛い。
乱歩の心の声や精神状態などが丁寧に描写されることで、作中の乱歩にリアリティを感じます。

第二の魅力は、作中作である「梔子姫(くちなしひめ)」です。
この架空の新作は ”実は乱歩がこんな作品を書いていた”というコンセプトを裏切らない乱歩らしさ。良い意味で悪趣味かつエロティックで幻想的な趣向と文体は、乱歩が書いたと言われれば納得してしまう模倣具合です。
本筋と作中作が交互に綴られる独特な構成は、乱歩の執筆を横で眺めている気分で、話の続きが気になって仕方ありません。

第三の魅力は、文学の薀蓄です。
ストーリー内で乱歩の思考は常に脱線して、自身の著作から海外の推理小説、果ては交流のある作家の愚痴まで、文学エピソードがこれでもかと語られます。乱歩をめぐる背景があまりにも濃密で、情報量に圧倒されます。
乱歩はこんな気持ちでこの作品を捉えていたのか、とか、この作家は乱歩とこういう関わりがあったのか、という面白さがあり、紹介される様々な作品への興味が湧きます。
しかし正直、その冗長さに何度か読み進めるのを挫折しそうになりました。

全て、作者の徹底したリサーチと乱歩愛の賜物です。
乱歩オタクによる不思議な乱歩ワールドが癖になります。

著者:久世 光彦
創元推理文庫 初版:2013年1月

怖い絵

「怖い絵」といえば中野京子氏のシリーズを思い浮かべる方が多いと思うのですが、こちらは演出家/テレビプロデューサーとして有名な久世光彦氏の著書。ただ時代的なものや向田邦子作品に親しみのない自分は、この本ではじめて久世氏のことを知りました。

ある時は舞台装置として、ある時は記憶を呼び覚ます鍵として、絵は個人の中の出来事と結びつき感情や妄想と絡まり合って、結果それぞれの「怖い絵」が生み出されます。
本書はこのような”著者にとっての”「怖い絵」と、それに纏わる若かりし日の出来事を綴った9篇からなるエッセイ集です。

  • 姉は血を吐く、妹は火吐く
  • 「死の島」からの帰還
  • 蠟燭劇場
  • 「二人道成寺」の彼方へ
  • 陰獣に追われ追われて
  • 誰かサロメを想わざる
  • 去年の雪いまいずこ
  • 豹の目に射抜かれて
  • ブリュージュへの誘い

紹介される絵は、表紙にも使われている高島野十郎「蝋燭」、ベックリン「死の島」、ビアズリー「サロメ」、甲斐庄楠音「二人道成寺」、ルドン「夜」 など。
「蝋燭」「死の島」「サロメ」は自分も特に好きな絵です。個人的には「怖く」ないけれど、どれも人の後ろ暗い部分や苦い記憶と共鳴しやすい絵だと感じます。

絵だけでなく、当時流行りの文学も数多く登場し時代の空気を醸し出すのに一役買っています。

姉は血を吐く、妹は火吐く

個人的に好きな1話目は、浪人生の頃の著者の思い出を綴った1篇。
著者の悪友に想いを寄せる姉妹と、その妹に想いを寄せる著者の話です。

この話、「怖い絵」として登場するのはニコライ堂(東京復活大聖堂教会)のイコンです。
イコンは、キリストや聖母、聖人らを描いたもの。それにしても、西洋の宗教画というのはなぜこうも一様に不気味なのか。キリスト教絵画独特の、あの張り付いたような表情故の怖さなのか。
薄暗い教会で、あの目に対峙すれば、おそらく誰もが懺悔をしたくなるのだろうと思うのです。

ただ、この話に登場するもう一つの作品、西条八十の「トミノの地獄」が、先の「怖い絵」を凌駕する「怖い詩」となっています。
自分にとってこの1話は、この詩に出会った思い出深い作品です。

姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く、
可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、
地獄くらやみ花も無き。

寺山修司をはじめこの詩に影響を受けた人は多く、解釈も多々あるようですが、本書では、妖艶な姉妹の物語が紡ぎ出されます。

いずれも女性との思い出がテーマではあるものの純愛のそれではなく、粋がってみてもうまくいかない、うじうじした男心が実にリアルで湿っぽい。
全編に共通するのは、仄暗い性と、死の息遣い。
それらがノスタルジックな空気と相俟って、不思議な中毒性を持った1冊です。

著者:久世 光彦
文春文庫 初版:1997年2月

インターメディアテク: 東京大学学術コレクション

そこを初めて訪れたのは2016年の冬。
東京出張に合わせて友人と会うことになり、待ち合わせにKITTEを指定されました。
とりあえず旧東京中央郵便局であるということはわかった、しかし大阪住みで最近の丸の内界隈はよくわからない、と、迷う前提でスケジュールを立てたところ、案の定かなり早く着いてしまいました。
友人の開業1周年祝の日本酒を抱えていてあまり移動もしたくない。ビルの中で時間を潰そうと思った時に興味を唆られたのがインターメディアテクでした。

インターメディアテクは、東京大学総合研究博物館が日本郵便株式会社と協働で運営をおこなっている博物館で、東京大学が明治の開学以来蓄積してきた学術標本や研究資料など「学術文化財」と呼ばれるものを常設展示しています。無料というのも有難い。

スペースはKITTEの一角の2・3階部分です。2フロアを繋ぐ、白く広い吹き抜け空間。大きな階段の脇には、これまた大きな鰐の骨格標本が壁を飾り、この時点でワクワクしはじめます。

展示室に足を踏み入れると一転、レトロモダンな空間が広がり、明治〜昭和初期にタイムスリップしたかのような感覚。事実、展示のケースやキャビネットは旧帝大時代に現場で使われていた時代物です。
壁面に並ぶ重厚な棚、ガラスの奥には雑然としながらも美しい標本群。中央のガラスケースには大小の骨格標本。原住民の文化を伝える民俗学的資料の妖しさ。。
夥しい数の、剥製、昆虫、植物、鉱物、土器、楽器、歯車、肖像、外科道具、計測機、解剖模型、幾何学模型、エトセトラ、エトセトラ、、

博物館と言っても所謂名物というものもないし順路もない、研究の現場で蓄積されてきた「学術標本」がひたすら並べられているだけの空間です。そこが逆に、自分の好奇心の赴くままに見て想像することを許された贅沢な展示だと思えます。
子供の頃、ちょっと寂れた博物館でアンモナイトの化石や昆虫標本を眺めていた時と同じ高揚感。
今では、東京駅で時間がある時は必ず立ち寄るお気に入りの場所になりました。

この書籍はそんな博物館の図録です。
図録といっても博物館のコンセプトそのまま、標本を丁寧に紹介するというより展示空間を感じる写真集といった内容です。もちろん標本の解説はありますが、中には「珍奇物」で片付けられてしまうものもあったり。何なんだよ!気になる。

だからこそ、ページを捲るとあの部屋の扉が開くのです。
ノスタルジックな世界、許されるなら何時間でも佇んでいたいと思う異空間。現代に蘇ったヴンダーカンマー。

驚異の部屋へようこそ。

編者:西野 嘉章
平凡社 初版:2013年11月

インターメディアテク
http://www.intermediatheque.jp/

笑うカイチュウ

寄生虫といえば思い出すものはサナダムシくらいでしょうか。
中学・高校の頃、理科室にホルマリン付けの、出所も由緒正しいサナダムシがあり、皆で気持ち悪いなどと盛り上がったのを覚えています。

周りの人で寄生虫に感染したという話も聞かないし、回虫駆除や虫下しなどももう必要ない。
寄生虫なんて昔のことで、今の日本では気にしなくてもいいもの、という風潮が強いと思います。

しかし今になって、自然食ブームやずさんな手洗いなどによって回虫感染症が増えているというのです。
また、ペットから感染したり、海外で食事から感染するなど、あながち過去のものではないようです。

本書では、実は身近な寄生虫とその感染症について、たくさんの症例を挙げて非常にわかりやすく解説されています。
取り上げられている寄生虫は、感染ルートが我々の生活と密着したものに限られているため、すんなりと入ってきます。(学術書的な雰囲気はいっさいありません。)
代表的なヒトの寄生虫だからか、本の題名の通り回虫に関するエピソードが多くなっています。
本書の中で特に衝撃的なのは、皮下のコブがが出たり消えたり動いたりするエピソードです。顎口虫やマンソン裂頭条虫などという虫が体の中を動くことが原因で、淡水魚を生で食べたり、食通だと言ってドジョウの踊り食いをしたりして感染します。

感染して大変!というエピソード以外にも、「多くの人が花粉症になったのは寄生虫に感染しなくなったから」という、寄生虫と免疫の興味深い話も掲載されています。

寄生虫の名前もカナ表記に統一されており物々しい感じもなく、そもそもエピソードだけで十分面白いので虫の名前を気にする必要もありません。全てを通じて、あっけらかんとした文章で思わずくすっと笑ってしまうけれども、次の瞬間にはゾッとする、不思議な読み物という印象です。

私自身学生の頃、ある講義で動物に関するテーマであれば何でもOKと言われ、なぜか寄生虫をテーマにレポートを書きました。数日の図書館通いで数々の寄生虫と出会って以来、彼らが学問的に非常に魅力的なものだと思っています。
そして数年前、念願かなって目黒の寄生虫博物館を訪問した時は感動しました。(平日昼間雨だったからか、誰もいませんでした。)

久しぶりに読み返してみて、大好物のサーモンの刺身が少し怖くなったり、野菜はよく洗おうと思ったり。
興味深くはあっても、決して感染したいとは思いません。

著者:藤田 紘一郎
講談社文庫 初版:1999年3月

日本人の魂の原郷 沖縄久高島

本書はカメラマンの著者により、久高島の数多くの祭祀について長期にわたり記録されたもので、過疎で消え行く祭祀の姿が非常に丁寧に記されています。
新書には勿体ないくらい充実した内容で、沖縄の信仰と精神文化を知る貴重な資料となっています。

久高島は沖縄本島の東南に位置する小さな島で、神話の島とも呼ばれニライカナイにつながる聖地として有名です。
琉球王朝時代は国王も巡礼した聖なる島なのです。

 東方の海の彼方(ニラーハラー)から来たアマミヤとシラミキヨにより島が創られた、島作り神話。
 久高島の対岸から船で渡ってきたシラタル(兄)とファガナシー(妹)が久高人の始祖となった、人創り神話。
 島の東海岸にあるイシキ浜に流れ着いた壷の中に五穀の種子が入っていたという、穀物伝来神話。

久高島には昔からの神話をベースにした自然崇拝、祖霊信仰があり、これらが琉球王朝時代に施行されるノロ制度と融合して独特のものとなり、神秘的な祭祀が多々執り行われています。
沖縄の自然信仰の最たるものは、御嶽(うたき)です。聖なるもの/ところと言われれば、ほとんどの人が寺社や仏像などをイメージすると思いますが、御嶽は森の空間や泉や川など、単に自然の一部です。それは集落跡など祖先崇拝につながるものであったり、生活で重要なところであったりと、古代から受け継がれた聖地なのです。
(本島の斎場御嶽のように観光化されているところもありますが、一般に御嶽・拝所は知らなければ気付かないため注意が必要とのこと。)

琉球の信仰では神に仕えるのは女性とされるため、聖地である御嶽は男子禁制です。
儀式はこれらの御嶽で行われるものも多く、多くの女性(神女)達が自然の中で祈る描写などは恐ろしいほど神秘的で、全国で数ある祭祀の中でも、最も神聖で繊細かつ謎めいた印象を受けます。

久高島で年間数多くの祭祀を執り行うのはノロと神女達です。
ノロとは王府から任命される女性神職者のことで、島の祭祀の司祭者として補佐役のウメーギとともに数々の司祭を執り行います。久高島には二つの始祖家があったため、その体系を引き継いで久高ノロと外間(ふかま)ノロという二人のノロが成立しました。(公式ノロは外間ノロ)
ノロは世襲制で引き継がれてきましたが、既に両ノロとも不在となっており、祭祀の存続はかなり危うい状況のようです。

久高島の祭祀の中で最も有名になったものはイザイホーだと思います。

イザイホーは、沖縄県南城市にある久高島で12年に一度行われる、久高島で生まれ育った三十歳以上の既婚女性が神女(神職者)となるための就任儀礼。基本的にその要件を満たす全ての女性がこの儀礼を通過する。(Wikipedia)

残念ながら、イザイホーは島の過疎化による新たな神女となる女性の不在と、儀式を執り行う神職者の逝去により、1878年を最後に行われていません。
本書もイザイホーに多くのページを割いています。四日間の祭祀を、丁寧な解説と共に時系列に追うことができます。

ちなみにイザイホーは1966年に島外からの取材を許可したことで有名になりましたが、その時に取材に来ていた岡本太郎氏が風葬の墓を荒らし死者を写真に撮ったことを知り、衝撃を受けました。

久高島とその秘祭イザイホーに惹かれ、色々調べているうちにこの本にたどり着きましたが、琉球の信仰を知るに、軽い興味で島に行ってみたいと思っていた自分が恥ずかしくなりました。

著者:比嘉 康雄
集英社 (集英社新書) 初版:2000年5月

参考サイト
沖縄観光・沖縄情報IMA(久高島)
http://www.okinawainfo.net/kudaka/index.html
久高島の祭「イザイホウ」と、島の風葬が殺された顛末
http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-853.html

新書 沖縄読本

本書は、沖縄ブームを作ったひとりと言われる著者が、そのブームの去った今、改めて沖縄に向き合い「癒しの島」でも「楽園」でもない沖縄について書いた本です。

なら戦争と基地問題でしょ?と思いがちですが、それだけではありません。
独自の歴史と文化が社会情勢と混ざり合って生まれた予想もつかない現在、知らなかった沖縄がそこにあります。

ヘルシーな食事で長寿の島だと思っていた沖縄のお年寄り(おじい、おばあ)はファストフードが大好きで実は不健康。
日本一貧しい県と言われる一方で、億単位の収入を得る軍用地地主が存在する驚くほどの格差社会。
夢と幻想を抱いてやってくる移住者はなかなか地元に溶け込めず、多くの人が本土に戻っている。
本土の人間は橋がかかって便利になると喜び、島の人々は文化が変わってしまうと嘆いている。
暢気に観光していては気付くことがない、日本(ヤマト)と沖縄の間の差別、偏見による深い溝。
出稼ぎや移民で海を渡った沖縄の人々の苦難とたくましさ・・・。

明るくない話の連続ではありますが、高校野球を熱狂的に応援する県民性がかいま見れたり(大阪は土地柄沖縄料理店が多いのですが、なぜか行く店皆、沖縄尚学か興南高校の優勝ペナントを飾っています。)現在のポップミュージック界を支える音楽が生まれた背景など、身近な話題もあり楽しめます。

個人的に面白かったのは中城高原ホテルについての章。このホテルはオープンしないまま建設途中で廃墟となり、今や廃墟ファンに大人気のポイントとなっていますが、ネットにある情報は廃棄探訪レポートばかりで若干消化不良でした。しかしこの本では、なんと当時の関係者のコメントや設計者まで紹介されていて驚かされます。

沖縄は、旅行に全く興味が無かった自分がはじめて”また行きたい”と思った特別な地ですが、青い海と白い砂を求めていては見えなかった沖縄の姿を知り、ますます興味が深まりました。
沖縄の「楽園」の顔も生活の場である「俗世」の顔も、それぞれ面白く飽きることがありません。

著者:下川 裕治、仲村 清司
講談社 初版:2012年2月

医薬品クライシス―78兆円市場の激震

勤め先が道修町(大手製薬企業の本社も多い)のすぐそばで製薬企業勤務の知人も多いことから、業界に興味があり手に取った一冊です。
医薬品メーカーの研究職を経験した著者により、薬を生み出す側からの視点で医薬品業界が直面する危機について綴られています。

製薬企業の研究所は非常に潤沢な研究費に恵まれ、国内外の優秀な研究者の集まる頭脳集団です。
(研究室時代、就職先の花形はやはり製薬企業の研究職でした。)
しかし驚くことに、実はほとんどの研究者が新薬を生み出すことなく現場を去っていくと言うのです。
なぜなら全世界数百社の製品をあわせても、医療用医薬品の新製品は年間たったの15〜20!
新薬が生まれない、それが医薬品業界が直面している危機なのです。

創薬技術は飛躍的に進歩しているのにもかかわらず、なぜ新薬は生まれなくなったのでしょうか。
それは「薬が作りやすい」病気について既に効果のあるものが出尽くしてしまったことと、安全基準が厳格化していることによります。

薬というのは生命を形作る物質「タンパク質」に働きかける非常に小さな分子です。
人体の働きはあまりにも複雑で、鼻炎と胃潰瘍治療のターゲットになるタンパク質が同じだったり(よく耳にするヒスタミンブロックとはこれのこと)、経口投与では消化されてしまい患部までとどかなかったりと、一筋縄ではいきません。

動物実験で能力を発揮した薬は、臨床試験という形で人での効果を確認します。
臨床試験は第I〜第III相の三段階のフェーズがあり、クリアするのに長い年月を要します。
効果が確認できなかったり、服用の利益を上回る害があると判断された時点で試験は中止となります。安全基準の厳格化で数多くの新薬が中止に追い込まれていますし、中止する段階を見極めないと大きな損失になり得ます。

そのことを著者は新薬の開発を”ギャンブル”と表現しているのですが、「生み出すのは非常に難しいが一発当てるとどの業界も敵わないほどの巨大な利益を生む」業界事情をなんとも的確に表現していると感じます。

本書は、基本的な薬の作用や創薬の手法、臨床試験など創薬の基本がコンパクトに解説されています。新しい創薬技術や特許、薬価など昨今の業界事情も一通り網羅されていて、新薬の開発がなぜ難しいのか、創薬のギャンブルたる所以が専門知識がなくても感覚でわかる内容となっています。

業界にいたからこその視点で、内側から感じる医薬品業界の変化、そして研究者の「薬を生み出したい」強い思いが現場の雰囲気とともに伝わってくるのも特徴です。
副作用問題では薬を生み出す立場の人々が副作用をどう捉えどのように向き合っているのかが軸となっており、一歩間違うと言い訳のようではありますが、アプローチとしては目新しい印象です。

そして話のたどり着く先は2010年問題です。
大手開発企業(先発企業)の多くは1990年前後に開発されたブロックバスター(大型医薬品)で収益を支えていますが、2010年前後に相次いで特許切れをむかえます。これらがジェネリック医薬品に取って代わられることで、開発企業の収益は激減してしまいます。
(最近「ジェネリック医薬品による医療費節減」でジェネリックメーカーに追い風となっているようですが、先発企業と今後の新薬開発のことを思うと複雑な思いです。)

特許切れによる収益の減少に対して少しでも多くの新薬を生み出し生き残りをはかるため、今大手開発企業は合併や買収で開発領域の補完や新たなパイプラインの獲得に必死です。
また戦いの場がアメリカに移ったことで、日本の各企業も海外子会社の強化や海外企業の買収など国際的な競争力に重きを置くようになっており、グローバル化に向けた動きも活発です。

世界を舞台にした熾烈な争いと、社会情勢に翻弄される企業、新薬の開発に関わる研究者の人間ドラマを知ることで、一粒の薬が以前とは違って見えてくるので不思議です。

著者:佐藤 健太郎
新潮新書 初版:2010年1月

ガン遺伝子を追いつめる

感染性疾患の減少で、今や疾患による死亡率の第一位となったガン。
年をとってガンを患うことが多いのは何故?ガンにかかりやすさは遺伝も関係するらしいけど何で?
生物が生きていく上で、細胞の分裂はかかせない生命活動ですが、これは遺伝子によってそれぞれ綿密な分裂の制御がなされることによって成り立っています。通常の細胞は一定回数の分裂を行うと分裂は止まるように設計されています。また、生存に不利な条件になると(もちろん発生の過程などそうでない場合もありますが)細胞は自殺し(アポトーシスとよばれます)、結果生物自身の正常な状態を保ちます。この分裂や自殺のバランスが崩れることによって起こるのが、分裂が止まらない、いわゆる腫瘍(ガン)というわけです。
この本では、細胞の活動と遺伝子の関係を中心に、ガンがどのようなメカニズムで発生するかを解説しています。

まず細胞の活動とその制御について、クローン羊ドリーの年齢や老化と細胞、日焼けとアポトーシスなどわかりやすい話題で導入、次に様々なガン遺伝子について解説があり、遺伝子のちょっとした変化がどのようにガンを引き起こすかが話されます。(p53蛋白の遺伝子の話はNHKの「人体III」でも解説されていました。ちょっと記憶に曖昧ですが、わかりやすいCGもあったのではないでしょうか)
後半は胃ガン、肺ガン、乳ガンなど個々のメカニズムや、転移について、療法や医学のとりくみについてが書かれています。

専門用語はそれなりに多いですし、DNAの知識も必須になってきます。タンパクや遺伝子名にカタカナ、アルファベットが多いので、これが苦手な方にはちょっと辛いかもしれませんが、順に解説はされていますし、単語読み飛ばしでもニュアンスはわかります。
本来ガンを起こすためにある遺伝子など存在しませんし、関連遺伝子を「ガン遺伝子」とひとくくりに言ってしまう表現には語弊があります(この本でも同様の指摘があります)。
この本でガンのメカニズムと正しい「ガン遺伝子」の知識を得てなるほど!と思って頂きたいと思います。

著者:掛札 堅
文春新書 初版:1999年10月