「怖い絵」といえば中野京子氏のシリーズを思い浮かべる方が多いと思うのですが、こちらは演出家/テレビプロデューサーとして有名な久世光彦氏の著書。ただ時代的なものや向田邦子作品に親しみのない自分は、この本ではじめて久世氏のことを知りました。
ある時は舞台装置として、ある時は記憶を呼び覚ます鍵として、絵は個人の中の出来事と結びつき感情や妄想と絡まり合って、結果それぞれの「怖い絵」が生み出されます。
本書はこのような”著者にとっての”「怖い絵」と、それに纏わる若かりし日の出来事を綴った9篇からなるエッセイ集です。
- 姉は血を吐く、妹は火吐く
- 「死の島」からの帰還
- 蠟燭劇場
- 「二人道成寺」の彼方へ
- 陰獣に追われ追われて
- 誰かサロメを想わざる
- 去年の雪いまいずこ
- 豹の目に射抜かれて
- ブリュージュへの誘い
紹介される絵は、表紙にも使われている高島野十郎「蝋燭」、ベックリン「死の島」、ビアズリー「サロメ」、甲斐庄楠音「二人道成寺」、ルドン「夜」 など。
「蝋燭」「死の島」「サロメ」は自分も特に好きな絵です。個人的には「怖く」ないけれど、どれも人の後ろ暗い部分や苦い記憶と共鳴しやすい絵だと感じます。
絵だけでなく、当時流行りの文学も数多く登場し時代の空気を醸し出すのに一役買っています。
姉は血を吐く、妹は火吐く
個人的に好きな1話目は、浪人生の頃の著者の思い出を綴った1篇。
著者の悪友に想いを寄せる姉妹と、その妹に想いを寄せる著者の話です。
この話、「怖い絵」として登場するのはニコライ堂(東京復活大聖堂教会)のイコンです。
イコンは、キリストや聖母、聖人らを描いたもの。それにしても、西洋の宗教画というのはなぜこうも一様に不気味なのか。キリスト教絵画独特の、あの張り付いたような表情故の怖さなのか。
薄暗い教会で、あの目に対峙すれば、おそらく誰もが懺悔をしたくなるのだろうと思うのです。
ただ、この話に登場するもう一つの作品、西条八十の「トミノの地獄」が、先の「怖い絵」を凌駕する「怖い詩」となっています。
自分にとってこの1話は、この詩に出会った思い出深い作品です。
姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く、
可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、
地獄くらやみ花も無き。
寺山修司をはじめこの詩に影響を受けた人は多く、解釈も多々あるようですが、本書では、妖艶な姉妹の物語が紡ぎ出されます。
いずれも女性との思い出がテーマではあるものの純愛のそれではなく、粋がってみてもうまくいかない、うじうじした男心が実にリアルで湿っぽい。
全編に共通するのは、仄暗い性と、死の息遣い。
それらがノスタルジックな空気と相俟って、不思議な中毒性を持った1冊です。
著者:久世 光彦
文春文庫 初版:1997年2月